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ブータ・ヴィディヤーの歩き方
#004
機会は突然訪れた。
軽井沢にあるサロンアネモネ院にてお客様をお迎えしていた、とある夏の終わりの出来事だった。
遠く長崎県からいらしてくださったお客様がたくさんのお話の中で、最後にふと
「私、今ブータ・ヴィディヤーを学んでいるんです」と言ったのだった。
私はびっくりするよりも先に「私も学びたいのですが、できますか?」と言っていた。
そしてその後にあああ、生きているとこんなことがあるのか、、、とゆっくりと落ち着いてびっくりを噛み締めた。
人生はどの瞬間も新しい出会いに満ち溢れている。遠回りをしているようでいて、いつだってずっと北極星を目指して進んでいるのだからもしかしたら当然のことかもしれないが、そんな風に私の強く知りたいと思っていたブータ・ヴィディヤーの先生が探しもしないのにやってきてくれるなんてすごいことだった。ご縁はスリランカ生まれ、九州発、軽井沢経由でいただいた。
ちなみに、人の口から「ブータ・ヴィディヤー」という言葉を聞いたのは初めてだった。その方は薬剤師さんであり植物療法士さんでもあった。
#005
ブータ・ヴィディヤーの先生に電話をしたのは、新宿南口のサザンテラスの終わり、ビル風の強く吹く中を代々木に向かって歩いていた時だった。メールをしてアポイントを取ったのがその時間だったからだ。先生はスリランカ人だと聞いていた。
なぜか今でも、その時見るともなくみていた、ただ目に映っていた景色をよく覚えている。
水色とシルバーとグレーの四角く背の高いビルの間を歩きながら、どきどきしながら教えてもらった電話番号に電話をかけた。ちょっとした面接のような気持ちだった。
私たちが通常思っている「学び」は一定のカリキュラム化されたものを教わることだが
「智慧を授かる」ということは、それとは一線を画していることを私は知っていた。
「生徒」になら誰でもなれる。だけど「弟子」には誰でもがなれるわけではない。
アーユルヴェーダを学んでいて一度「あなたたちはただの生徒です」と先生に言われたことがある。
私はその時、「先生」と「師」の違いを知った。そしてものごとを伝達することの重さを知った。
古今東西多くの場所に脈々と伝わる叡智は、古来は文字に記録されることなく人から人へと伝えられるものだったという。誰に手渡すべきかということを師が見極めた上で誰かの手に渡る。誰にでも渡すものではない。なぜなら「智慧」というのは使い方次第で毒にもなれば薬にもなるからだ。間違った人にうっかり手渡してはいけない。そんな暗黙のルールが、口承文化にルーツを持つ「知」の世界にはある。
つまり、誰にでも扉が開くと思ったら大間違いだよ、と
学校を卒業したあとの現実の世界におけるあらゆる学びのあり方はそうだった。
それは大いに私を謙虚にし、そして世界へと奮い立たせた。
#006
熊本行きのフライトチケットを買った。
旅の仲間に、アーユルヴェーダを学んでいる名古屋のMちゃんも加わってくれた。(彼女はこの学びの旅の期間中に東京へ転勤となるのでのちに非常に近しくなるのだが、この頃はまだそんなことは知らない。)
ここにいったら何が得られるのか、どんな先生なのか、どんな教室なのか、どんな場所なのか、そういった情報が全くない中で、飛び込んでゆけるMちゃんの存在が内心とても嬉しかった。私もそうだからだ。
歩き方はわからない。ただ、目的地の名前だけをしっている。それ以外は何もわからない。
道先案内人に、軽井沢でであった長崎出身の彼女もついてきてくれることになった。
私の好きな旅は、いつもこうだったと思う。今ではGoogle mapもあるし、Trip advaiser で口コミも読めるし、Instagramのハッシュタグでどんな人たちのアンテナに引っかかっているのかの検索もできる。日常とほぼ同じ情報量でそのまま移動をする、そんな旅も可能になった昨今、こんな旅の仲間ができたことのわくわくしていた。
地球の歩き方、という本の名前を知っている人は少なくないと思う。
私たちは今回えーーっと、、と言いながら歩き方から探さなくてはいけない、そんな楽しい旅だった。どんなパターンで何が来ても大丈夫、予想もしていないから予想外のことも一切ない。わたしたちはそれを受け入れ、そこから学べる、若くて美しくしっかりもので物静かなMちゃんの根底にはきっとそんな自分への自信、世界への信頼があったのかもしれない。