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生理学と呪術 アーユルヴェーダと心の病
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#007
今回の講座の一学期を務めてくださる長田晋一先生とはオンラインに公開されている論文のアブストラクトで最初は出会った。
端的で削ぎ落とされた学術の文章を操る長田先生は、九州大学大学院人文科学府インド哲学史専の博士後期課程の方だった。
アーユル・ヴェーダと心の病 −三代医書による比較検討−というタイトル論文の序章にはこのように書いてあった。(以下【はじめに】より引用)
”病と健康について実践的に考究する学問は医学である。
一方苦悩する者を癒し、救いに至る道を提示するのは宗教である。
人間存在を直視し、生と死の双方に関わることが求められる点において、両者は軌を一にする。
このような医学と宗教の親和的かつ相補的関係は、古代インドの伝統医学、すなわちアーユルヴェーダ(Ayurveda)の中に見出すことができる。”
#008
2024年に開催された第46回日本アーユルヴェーダ学会東京研究総会(AYV2024)で私は共通の知人を介して長田先生に声をかけた。
初めて声をかけた時のエピソードがけっこう面白かったので、機が熟したらぜひお話ししたいところである。
その後やりとりするメールの中で、彼は豊富な知識を自在に引き出しながら私の小さなものから大きなものまであらゆる質問に答えてくれた。
選ぶ言葉の正確性に対しての用心深さが知への真摯さを物語っており、学問は美しいと思った。
九州大学附属図書主催「Quricon – 九州大学 学生研究交流企画: 第34回:「こころ」とは何か?」登壇 、日本佛教学会第92回学術大会「仏教と病」登壇(2023)など経歴を拝見する中で、福岡県糸島市内の小学校で小学5年生と一緒に哲学する活動を行っている姿が目に止まった。
サンスクリット語で文献を読まれ、今年はチャラカサンヒターの翻訳チームのメンバーにもなっている長田先生が、小学生にどのように哲学をおしえるのか気になった。
私はブータ・ヴィディヤーの学びを始めたこと、そしてとても困惑していることを正直に話した。
そして恐れ多くも研究者としての立場から講師をして欲しいと依頼したところ
学術以外の場所での発言を快諾してくれた。
#009
何度かオンラインでのミーティングを重ね、研究者の立場からというタイトルで以下のタイトルでご講義いただくこととなった。
ブータ・ヴィディヤーことはじめ -こころとインドー
第1回 4/24 木 ブータ・ヴィディヤーⅠ-こころの宇宙-
第2回 5/29 木 ブータ・ヴィディヤーⅡ-こころと呪術-
第3回 6/19 木 ブータ・ヴィディヤーⅢ-こころの医学-
呪術、という言葉にドキッとした。
研究のことばは難しそう、、ついていけるか心配、、、
という声があるということを伝えると
「どなたにもご理解していただけるよう、身近な言葉で、一つ一つ噛み砕きながらお話ししますので、どうぞご安心ください。」
と返事をいただいた。また講義の中で質疑応答もしてくれることとなった。
最後、長田先生ご本人から皆様へのメッセージをここに紹介する。
アーユルヴェーダにおける心の病とその治療への道について、古典文献の出典と共に紐解いていきたい。
インドはよく、摩訶不思議の国だと言われますが、大いに不可思議であるのはインドに限りません。こころも同じです。神秘と狂気によって織りなされた人間のこころは、まさしく摩訶不思議だと言えます。
秩序と混沌を併せ持つインドの世界は、人間や動物の他にも、神々、阿修羅、餓鬼などの多様なる存在によって構成されています。そのような土壌で生まれ育ったインドの伝統医学=アーユルヴェーダは、超自然的存在としての鬼神たちに言及します。そして、それら憑きものたちに取り憑かれ、こころとからだに何らかの変調を来した人を対象に据えて、その異変を解消するための方法論を提示します。それは、鬼神(ブータ)に関する学問(ヴィディヤー)であることから、鬼神学(ブータ・ヴィディヤー)と称されます。
本講座では、ブータ・ヴィディヤーを基軸として、アーユルヴェーダの精神医学体系をご紹介します。初めて触れる方を対象に、一から噛み砕いてご説明しますので、どうぞお気軽にご参加ください。さまざまな方のご参加をお待ちしております。ブータ・ヴィディヤーを糸口に、こころのミステリーを一緒に紐解いてみませんか?
今までからもう一段、専門性の高くて深い世界へ。
私はミステリーは苦手ではあるが、アーユルヴェーダの概念自体を俯瞰できる巨人の方の上に乗って
今年の4月5月6月の講義から得られる摩訶不思議ワールドへの新たな視点をわくわくと楽しみにしている。