アーユルヴェーダと新しい親子関係 その1 —洗濯機の中

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台風の本日、大雨警報が出て子どもたちは休校になっている午前中に玄関のチャイムが鳴った。

びっくりして出てみると、宅急便のヤマトさんで

段ボール、濡れちゃって済みません、

といいながら大きな荷物を手渡してくれた。

ジブリの映画の『魔女の宅急便』のワンシーンのようだった。

土砂降りの雨の中、私は家から一歩も出ないことでとても穏やかでいい気持ちでいたので、

ヤマトさんの快活で真摯な声に、少し申し訳なく思った。

ずっと家にいるのはいつぶりだろうか。きっとコロナ以来だな、と思う。


子育てというのはどんなものだろうか、と昔から思っていた。

小さな子どもというのは可愛く、子育てというのはほのぼのと優しい日々なのだろうかと思っていた。

実際に自分に子どもが産まれてみると、まったくそうではなかった。

もちろん。小さな子どもというのは可愛く、それは間違いないのだが

十月十日の肉体の変化を経たのち命を賭すような出産をし、体液も血液もごっそりと抜けていき心身ともに消耗しているところに

休む間もなく3時間おきの授乳で慢性の寝不足から始まる子育て。

そしてそこに子育てだけではなく家事が加わる日々。

24時間365日絶え間なく動き、追いかけ、成長し、笑い、泣き叫び、途方に暮れ

ぐるぐる回る洗濯機の中にいるような日々が、まさかの子育ての日々だった。

ちょっと思っていたのと違う、、、と思う暇すらもなく

時間に小突き回されるように必死で目の前の現実や新しく出会う人々、更新されていく環境についていき

いつも1日が終わる頃はくたくたで、子どもが寝るよりも早く私が寝ていることも多々あった。

(あるいは絵本の読み聞かせをしていたら、寝てしまい仰向けの顔面に絵本が降ってくることも少なからずあった。)


これはKaphaという重たい水の要素が優勢な私が感じた子育て。

同じ子育てでも、人によって感じ方は全然違う。

誰かにとって苦痛なことが、自分は全然平気だったり(例えばコロナ禍は家にいて大変だったという人もいるけれど、私は家の中にいて誰とも会わないことが全く苦痛ではなかったり)

逆に自分は苦手だと感じることでも、他の人にとってはとってはとっても楽しいことだったり(例えば私は子どもと分刻みに色々な場所移動するのが苦手だったけれど、おでかけが大好きで外に出ることでイキイキとしているお母さんもいたり)

今回3回目を迎える「アーユルヴェーダと新しい親子関係」講座では

まずそんなふうに自分のことを知るところから、スタートしてゆきます。

理想論やべき論ではなく、また人から見られ、 評価されるための自分像でもなく

人とは違う、自分のnatureを、まずはしっかりと認めていきます。

それは子育てと、そして子どもと一緒に自分を生きていく上でとってとても大事なことだからです。

(つづく)